神戸地方裁判所尼崎支部 昭和50年(ヨ)119号 判決 1978年6月29日
申請人
福田勝
申請人
大西昭次
申請人
岡田紀道
申請人
山本光顕
申請人
横山隆文
申請人
井上正夫
申請人
中門年男
申請人
岩井幸雄
右申請人ら訴訟代理人弁護士
垣添誠雄
(ほか三名)
被申請人
日本鍛工株式会社
右代表者代表取締役
小野左右吉
右被申請人訴訟代理人弁護士
松本正一
(ほか二名)
主文
一、申請人岩井幸雄、同横山隆文、同大西昭次が被申請人の従業員たる地位を有することを仮に定める。
二、被申請人は、右申請人三名に対し、
1 別紙(略)未払賃金表(一)記載の金員、
2 昭和五二年六月以降本案判決確定にいたるまで、毎月二七日限り別紙未払賃金表(二)記載の金員
を(ただし、法令その他により当然控除すべき税金、社会保険料等は控除したうえ)、それぞれ仮に支払え。
三、被申請人は、申請人大西が別紙物件目録記載(1)の建物を占有使用するのを妨害してはならない。
四、右申請人三名のその余の申請およびその余の申請人らの申請をいずれも却下する。
五、訴訟費用は、右申請人三名と被申請人との間に生じた分は被申請人の負担とし、その余申請人らと被申請人との間に生じた分は同申請人らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
(一) 申請人らが被申請人の従業員たる地位を有することを仮に定める。
(二) 被申請人は申請人らに対し、別紙未払金員目録(一)記載の金員をそれぞれ仮に支払え。
(三) 被申請人は申請人らに対し、昭和五二年六月以降本案判決確定にいたるまで、毎月二七日限り、別紙金員目録(二)記載の金員を支払え。
(四) 被申請人は、申請人大西昭次が別紙物件目録記載(1)の建物を、同井上正夫が同目録記載(2)の建物を、同岡田紀道が同目録記載(3)の建物部分をそれぞれ占有使用することを妨げてはならない。
(五) 申請費用は被申請人の負担とする。
二 申請の趣旨に対する答弁
(一) 申請人らの申請をいずれも却下する。
(二) 申請費用は申請人らの負担とする。
第二申請の原因および被申請人の主張に対する反論
一 当事者ら
(一) 申請人ら
1 申請人らはいずれも被申請人に雇用される従業員であって、毎月二七日に賃金の支払いを受けていたもので、昭和五〇年四月当時の申請人らの平均賃金は別紙賃金表(ただし、昭和四九年一〇月から同五〇年三月までの六か月間を平均した一か月分の賃金)のとおりである。
2 申請人大西昭次は別紙物件目録記載(1)の建物(被申請人が従業員社宅としての用に供しているもの)に、同井上正夫は同目録記載(2)の建物(前同様の社宅)に、同岡田紀道は同目録記載(3)の建物部分(前同様の独身寮)に、それぞれ居住している。
(二) 被申請人
被申請人は肩書地(略)に本社を有し、鍛造品製造販売を業とする株式会社である(以下「会社」ともいう。)。
二 解雇
(一) 解雇通告
会社は各申請人に対し、昭和五〇年四月一六日ころ各到達の文書により、同日付で各申請人を解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」または「本件整理解雇」という。)。
(二) 解雇理由(本件解雇の性質)
1 右各解雇通知書の記載によれば、解雇理由はいずれも「勤務成績不良」である。
2 後述の解雇に至る経緯からすると、本件解雇は普通解雇に関する就業規則二二条二号の「やむをえない業務上の都合あるとき」を適用してなされたものであること明らかである。
三 解雇に至る経緯
(一) 希望退職者の募集
1 会社は、昭和五〇年二月二〇日、従業員三四六名全員に対し、七〇名の希望退職者を募集する旨発表した。
2 右募集の理由の要旨は「日本経済の不況の中で、会社は累積赤字を抱え、このままの状態で業務を継続するときは数億円にのぼる大幅赤字を計上することとなり倒産寸前の状態となる。したがって、この際、人員削減を行い、その中で生産性の向上を計るよりほかに途がない。」というものである。
3 右希望退職者の募集により、同年三月末、四八名がこれに応じて退職し、その後、会社の勧奨も加わって四月八日までにさらに五名が退職した。この時期には申請人らに対しても勧奨が加えられたが、全員これを拒否した。
(二) 指名解雇の予告
1 この段階で退職者は既に五三名にのぼっているにもかかわらず(当時の従業員総数は二九三名)、会社は七〇名の人員削減に固執し、同年四月九日、申請人らを含め一七名の者に対して「指名解雇を実施する。ただし、個別的通告を行う前に退職を申し出た者は希望退職の扱いにする。」との発表をし、これにより五名がさらに退職に応じた。
2 右予告に対し、申請人らは会社の意図する指名解雇は、会社が組合活動家である申請人らを嫌忌して、人員整理を口実に申請人らを社外へ放逐することを狙ったものととらえ、これに断固反対する態度を堅持した。
(三) 指名解雇の実行
しかるところ、会社は、同年四月一六日、前述のとおり残る一二名に対し解雇を通告したが、申請人ら八名およびもと申請人川波鉄雄、同池内晟を除く二名はこれを承認して退職した。
なお、会社は、希望退職の発表に先立つ昭和四九年一二月、臨時工、季節工六七名を解雇しており、これを加えた解雇者総数は一二五名であって、同年四月一六日における会社従業員の総数は二八八名である(申請人らおよびもと申請人の前記二名を除く。)。
四 不当労働行為による本件解雇の無効
(一) 本件解雇は、労使協調路線に反対し、階級的労働組合運動を主張、実践する組合活動家である申請人らを嫌悪していた会社が、合理化計画に名を藉りてこれら申請人らを企業外に放逐せんとしたものであるから、労働組合法七条一号に違反し無効である。
(二) 会社には従業員で組織する日本鍛工労働組合(以下「組合」ともいう。)があるところ、申請人らは右のとおり何れも労働者の生活向上と権利の確立を目ざす自覚的な組合活動家であって同組合執行委員長、執行委員、代議員、青年婦人部役員等を歴任して来た者である。
一方、会社は、かねてから組合の御用化を企図して、役員選挙に対する介入等種々な画策を続けた結果、昭和四九年八月の同選挙により、執行委員の過半数を会社派で握ることに成功した。なお、会社においては、ストライキは既に昭和四八年から皆無という状態である。しかるに、会社は、これらのみをもって満足せず、さらに、申請人らを永久に社外に放逐する機会を窺っていたところ、折りからの一般的不況の中でこれに便乗し人員整理をかくれみのにこの目的を達しようとして本件解雇を断行したのである。
これに対し、組合は、当初から、人員整理に関する会社の方針にさして抵抗することもなくこれを許容し、申請人らに対する指名解雇にいたっては、会社から組合にその旨の通告がなされるや、直ちにこれを認め、申請人らの除名処分を行っているのである。まさに御用組合の典型というほかはない。
(三) ところで、指名解雇者一二名の組合役員歴をみると、もと申請人川波は執行委員、同池内は書記長、鈴木正直は青年婦人部役員であり、実に一二名中の一一名が重要な組合役員を経験し、しかもこの一一名は組合活動上も公然と階級的労働運動を主張して同一歩調をとり、また、政治活動においては申請人らのほとんどは本件合理化に先立つ昭和四八年から日本共産党日本鍛工支部がとる労働運動政策の支持を求めるビラを会社正門前で配付し、特に本件合理化に対してはこれに反対する同様の政策ビラを配付した。
これらの事実はすべて会社の知るところであり、したがって、会社は、申請人らの政治的立場も十分承知していたのであるから、前記(二)の事実とこれらを考えあわせると、会社の不当労働行為意思を推認するに十分である。
五 解雇権濫用による本件解雇の無効
本件解雇は、以下にみるように、その必要性がなかったものであり、かりに必要性があったとしても、解雇基準の設定およびその具体的適用がともに不当なものであるうえ、解雇に至る人員整理手続においても、信義期上要求される協議、説明義務がつくされず、会社が一方的に実施したものであるから、右いずれの点からも、解雇権の濫用として、無効たるをまぬがれない。
《以下事実略》
理由
第一 当事者間に争いのない事実のほか、(証拠略)を総合して一応認められる事実は次のとおりであり、右認定に反する証拠は、後記第二ないし第四で触れるとおり、いずれも採用することができない。
一 本件人員整理前における会社の経営状況等
(一) 会社
会社は、資本金四億一〇〇〇万円、鍛造品の製造販売等を目的とする株式会社であり、その製品は、自動車部品、建設機械部品、陸舶用内燃機関部品、その他機械部分、鍛造用、板金用、プラスチック用の各金型等がある。企業系列としては、会社株式の二四・九パーセントを所有する大同特殊鋼株式会社(昭和五一年九月商号変更、変更前商号大同製鋼株式会社。以下前同様に便宜「大同製鋼」という。)の傘下にあり、また、主たる取引先は、受注割合四〇パーセント内外を占める東洋工業をはじめ、国内外の大企業約四十数社にのぼっている。
(二) 鍛造業
鍛造業は、機械工業の基礎部品の供給を担当する粗形材産業の一つであるが、その納入先は、自動車工業、建設機械工業等を営む大企業であって、鍛造業とこれら業界との企業格差が大きいため、数量、価格、品質および納期等は、これら納入先の定める計画に従わなければならないのが鍛造業界の実情である。そのため、一般のメーカーと異なり、生産計画を立て、価格決定をし、販売するという諸点につき納入先の意向に左右されざるをえない。そして、鍛造業界はかかる受注メーカー中小五〇〇社から成り、同業界においては右受注動向が企業運営にとって決定的な要因となっている。
なお、同業界において大手とされているのは、いずれもいわゆる二部上場企業である株式会社東京鍛工所(以下「東京鍛工」という。)、後藤鍛工株式会社(以下「後藤鍛工」という。)および新日本鍛工株式会社(以下「新日本鍛工」という。)および会社の四社であって、ほぼ同一規模、業績の会社である。
(三) 昭和四九年上期までの経営状況等
1 会社は、昭和三九年三月大同製鋼の系列下に入り、その後六期三年間無配であったが、以後昭和四五年上期まで年八分ないし一割配当を七期三年半継続した。しかし、昭和四五年下期から再び無配に転落し、同四九年上期に至った(会社は、もと半年決算の会社であって、六か月を一期とし、上期は一二月一日から翌年五月末日まで、下期は六月一日から一一月末日までであったが、昭和五一年から一一月を決算期とする一年決算の会社に移行した。)。この間、昭和四四年下期から同四七年下期まで、毎期のように会社所有にかかる東京都、尼崎市所在の土地、社宅および株式等の資産を処分し、その売却益合計約三億一九〇〇万円を営業外収益、特別利益として各期に計上して決算を行っていたが、同四九年上期にはいまだ約一億一〇四二万円の繰越損失を抱えていた。
2 一方、東京鍛工、後藤鍛工、新日本鍛工の三社は、会社とほぼ同様の配当状況であったところ、後藤鍛工と新日本鍛工は昭和四八年後半から急激に業績が回復して復配するに至り、また、東京鍛工は、同四九年後半の決算で約三二〇〇万円の利益を計上していた。したがって、このころ赤字決算をしているのは、鍛造大手四社中、会社のみとなっていた。
(四) 昭和四九年下期の経営状況
昭和四八年末の石油ショック以後、会社の主取引先(受注割合四〇パーセント内外)たる東洋工業が生産するロータリーエンジンの燃費が過大であるとの評価が一般的となり、同社製の自動車販売が激減し、その他の経営上の理由も加わり、昭和四九年六月ころ、東洋工業の経営危機が取りざたされるようになった。そのため、同年五月ころから、東洋工業から会社への発注量が急減し始め、同年一〇、一一月ころからは他の得意先からの減産指示があいつぐなどして、受注状況はさらに悪化した。すなわち、昭和四九年上期の販売実績が、東洋工業へ四二八六トン、株式会社小松製作所へ五一トン等国内合計一万三三トン、輸出合計一〇九五トン(総計一万一一二八トン)であるのに対し、同下期の販売実績は、東洋工業へ三二四一トン、小松製作所へ七七二トン等国内合計八四二九トン、輸出合計一七四六トン(総計一万一七五トン)となり、前期に比して約一〇パーセント弱の落ち込みとなった。そして、同下期の決算では、約三六七一万円の利益(前期比約三九パーセント減)を計上することができたものの、前期までの未処理損失約一億一〇四二万円の損失処理の結果、会社は、いまだ約七三七一万円の赤字を抱えることとなった。
なお、同下期における販売計画は、不況の浸透とともに、後にみるとおり、二度の改定を余儀なくされたが、昭和五〇年上期において、同年一月二五日付で策定した販売計画は、東洋工業へ二一四四トン等国内合計七〇一八トン、輸出合計一四八六トン総計八五〇四トンであって、会社にとってきわめて厳しい受注状況が予想されるに至った。
二 経営合理化の計画と諸施策
(一) 緊急施策
昭和四九年一一月、会社は、当面の生産計画を変更し、以上の諸状勢に対する対応策を検討した。その結果、高度成長期のような急激な需要の伸びを期待することは難しく、低位安定の時代に対応し、低需要すなわち少い仕事量で生きのびうる経営体質とすることが急務とされた。
これに即応して、会社の行った緊急施策は、次のとおりである。
1 同年同月一一日、在庫量を減少させるため、昭和五〇年上期事業計画を、販売一万二八六トン、同金額二六億九四〇〇万円、生産九六〇〇トンとした。
2 昭和四九年一一月一五日、常勤役員会において、左のとおり決定した。
(A) 昭和五〇年一月から役員、参与の月俸を平均八パーセントカットし、管理職の役付手当を返上させることとした。
(B) 昭和四九年一二月から残業時間を、現場作業部門は月当り七時間まで、事務部門は零とした。
(C) 同年一二月中に、季節工社外工等三七名を解約することとした。
3 同年一二月二日、東洋工業、米国カミンズ社等からの受注量減少のため、昭和五〇年度上期事業計画のうち、生産九六〇〇トンとした部分を生産九一〇〇トンと改定した。
4 昭和四九年一二月一六日
(A) 昭和五〇年一月末日までに、季節工、社外工、嘱託一八名を解約することとした。
(B) 右により、事務分担に不均衡が生ずるのを防ぐため、事務系職員を現場応援させることとした。
(C) 外注品を社内品でまかなうこととし、不急な修理機器の稼動を停止させた。
(D) エネルギー節減を実施し、省エネルギー推進委員会を設置することとした。
5 昭和四九年一二月二四日
(A) 昭和五〇年上期事業計画中、販売金額二六億九四〇〇万円とした部分を、同金額二五億九〇〇〇万円とした。
(B) 役員の業務分担を一部変更し、営業部門の重要性を確認した。
(C) 昭和五〇年一月付で、製造部部課長の人事移動をすることとした。
(D) 購入鋼材の値引交渉を実施し、販売費削減につき再検討した。
6 昭和五〇年一月二一日、季節工の残り七名を解約し、全従業員につき残業時間を零とした。
7 同年一月三〇日
(A) 昭和五〇年上期事業計画を再度改定し、販売八五〇〇トン、同金額二一億五一〇〇万円、生産八一〇〇トンとした。
(B) 昭和五〇年二月度については、休日を特別に二日間増やすこととした。
8 同年二月八日
(A) 同年二月から役員参与の月俸を一〇ないし一五パーセント、部課長の給与を五ないし一〇パーセントだけカットした。
(B) 職制を一部変更し、管理室を新設した。
(C) 利益向上対策委員会、拡販対策委員会を設置した。
右のように緊急施策が行われたが、社外工らに対する解約の実施は、昭和四九年一二月から昭和五〇年一月にかけ前記六二名のほか二名に対してなされたので、これと本工三名の退職とを合わせると、昭和四九年一月初めの在籍者四一三名は、解雇実施完了後三四六名に減少した。
(二) 合理化計画と本件人員整理の必要性
会社は、従前から大同製鋼の連帯保証のもとに、金融機関から営業資金の融資を受けていたが、昭和五〇年一月二七日の資金繰計画によると、売上の減少は資金面で行きづまりを生じ、年間に長期、短期の借入金合計六億四〇〇〇万円を返済せねばならないところから、長期借入三億円、短期借入金一億一五〇〇万円、社宅売却一億円、合計五億一五〇〇万円の対策をしても、なお二億円位を特別に借入れないと、昭和五〇年一〇月ころ資金面で破綻をきたすおそれがあった。会社の資金借入には大同製鋼の連帯保証を要し、右保証債務額は昭和四九年一一月末には合計一〇億六七三〇万円にも達していたので、会社が同年一一月大同製鋼に前記特別借入の保証を依頼したとき、大同製鋼は、会社がその赤字体質の抜本的改善をしないかぎり、右保証はしない旨の厳しい態度を示すにいたった。
次いで、昭和五〇年二月、会社は、昭和四九年下期の実績に基づき、今後の業績見通しを次のとおり予測した。
期別 昭和五〇年上期
販売金額 二一億五一〇〇万円
生産量(社内) 八一〇〇トン
利益 マイナス四億五〇〇〇万円
期別 同下期
販売金額 二三億〇六〇〇万円
生産量(社内) 九一〇〇トン
利益 マイナス三億八七〇〇万円
これによれば、昭和五〇年上下期一年間で、約八億三七〇〇万円の赤字を計上せざるをえないこととなることが明らかになった。そして、会社は、かかる大幅赤字が予想されるのは、従来のように一期一万トン以上の生産、販売が可能であった状況のもとでの必要人員を、今後需要拡大の見込みもない経済状勢で維持しようとするためであると判断し、したがって需要に応じた配置人員に置換えた(すなわち雇用人員を減少させた)うえ、少数精鋭の生産性の高い人員を擁する企業としない限り、会社の在続はありえないものとの意向を固めた。
そこで、昭和四九年九月から同年一二月までの鍛造業界大手三社の生産性実績を会社のそれと比較したところ、次のとおりであった。
鍛造工一人一時間
当り生産量
(単位キログラム)
従業員一人一か月
当り生産量
(単位トン)
後藤鍛工
一一三
五・八六八
新日本鍛工
一〇七
五・三五八
東京鍛工
九二
三・八四三
会社
八三
四・五二〇
これによれば、会社の鍛造工一人当りの生産量は最も少なく、従業員一人当りのそれも最下位から二番目という状態であった。そして、右比較にもとづき、昭和五〇年二月一〇日、会社は、常勤役員会において前記業績見通し(ただし、生産量を八〇〇〇トンとする。)を前提として、後藤鍛工、新日本鍛工の上位二社が実現している実績の最低値で、かつ、今後達成可能と考えられた数値として、従業員一人当り一か月五・三トンの生産量を設定することとし、これに従い必要人員を求めた結果二五一人となるので、
<省略>
現在人員三四六人に対し九五人が余剰となることが明らかになった。これに対し、労務部門は、従業員に対する雇用責任、将来の人員確保難を論拠とする反対音心見を表明したので、八〇〇〇トンの生産見通しが再検討されることとなった。右役員会の日から二日後の同年同月一二日、改めて役員会が開催され、人員削減は特別な考慮を要するので、生産見通しを八〇〇〇トンから九〇〇〇トンに変更することとし、右増加部分については営業(販売)部門の努力に期待することとなった。この場合においては、余剰人員は六三名となる。
(<省略>、
346人-283人=63人)そして、右余剰人員を現業部門と非現業部門とに割振った結果、前者で四五名、後者で二五名合計七〇名を最終的な削減人員とすることとなったが、右人員削減および他の諸点についての合理化計画を実施することにより、会社は、昭和五〇年下期の決算において、経常利益段階で収支を権衡させることを意図した。
三 本件人員整理の実施
(一) 第一次希望退職募集
以上の合理化計画に基づき、昭和五〇年二月二〇日、労使双方を構成員とする経営協議会において、組合に対し前記緊急施策、合理化計画策定に至る事情および右計画中の人員削減問題(七〇名の希望退職募集)につき説明し、これに関する理解と協力を求め、また、同日付社内報で全従業員に対し七〇名の希望退職募集を発表した。
これによれば、退職条件は次のとおりであった。
1 退職金は、会社都合による退職の規定が適用される場合の金額の二〇パーセント増しとする。
2 解雇予告手当一か月分を支給する。
3 年次有給休暇の昭和四九年度残日数に対し補償金を支払う。
同年二月二五日、同二八日、経営協議会が開かれ、希望退職募集の件につき質疑がなされたが、組合は、当初は人員整理の撤回を求め、以後連続して協議がなされた。しかし、会社は、組合は、その立場上明確にはしないが、会社の実情からみて七〇名の希望退職募集は認めざるをえないとの態度をとっているものと判断し、同年三月一日、組合に対し同日から八日まで募集を実施する旨通告した。そして、会社は経営協議会における組合の要求に基づき、同月六日、右退職条件に付加して特別手当を世帯主、準世帯主に対し一率(ママ)に一〇万円、非世帯主に対し五万円を各支払うことを組合に対し通告した。組合は、右希望退職募集を開始したことにつき、同月四日、会社に対し抗議をしたが、同月一〇日、希望退職募集は認めることとし、それが未達の場合には、指名解雇はしないように求める旨通告した。同月一日から八日までの募集期間中、四〇名の応募者があった。
(二) 第二次希望退職募集
第一次希望退職募集の結果、削減予定人員に対し、三〇名が未達であったので、会社は、三月一〇日から同一四日まで、前記と同条件で第二次希望退職募集をすることとし、三月一〇日、組合に対しその旨通告してこれを実施した。そして、右期間中六名の応募者があり、また、期間後に二名の応募者があったので、会社は、期間後の二名も期間中の応募者と同様に取扱うこととした。これにより、希望退職者は四八名となり、削減予定人員に対する未達人員は、二二名となった。
(三) 第三次希望退職募集(第一次退職勧奨)
会社は、右第二次募集までの経過からみて、これ以上募集期間を延長しても、予定人員に達する退職者は得られないと判断したので、次のような一定の勧奨基準を設け、これに該当する者に対し、退職を勧奨することとし、三月一七日、組合に対しその旨および次のような退職条件を通告し、あわせて退職勧奨についての理解を求めた。
1 勧奨基準は、次の七項目の総合判断とする。
(A) 出勤状況の不良な者
(B) 業務に対し非協力的な者
(C) 業務遂行能力が低く成績の上らない者
(D) 職場の秩序を守らず、風紀を乱す者
(E) 病弱な者
(F) 昭和五一年中に定年に達する者
(G) 有夫の女子で他に生計の途を有する者
2 退職条件
(A) 退職金は、会社都合による退職の規定が適用される場合の金額の一〇パーセント増しとする。
(B) 解雇予告手当一か月分を支給する。
(C) 特別手当として世帯主、準世帯主に対し一率に一〇万円、非世帯主に対し五万円を支給する。
(D) 年次有給休暇の昭和四九年度残日数に対し補償金は支払わない。
(E) 社宅、寮居住者でやむをえない事情ある者に対しては、社宅については一年以内、寮については一か月以内の居住を認める。
これに対し、三月二〇日、組合は、希望退職募集を継続すべきで、勧奨はしないことおよび退職条件の引上げを要求した。右要求をうけて、会社は、組合に対し、同二六日、退職金割増率を一五パーセントとすること、年次有給休暇残を補償することを通告し、次いで同月三一日、退職金割増率を一九パーセントとすることを通告した。そして、同年四月二日、組合は、会社に対し、右退職勧奨はやむをえないことを通告するとともに、<1>勧奨の方法は強制にわたってはならないこと、<2>退職金割増率を五〇パーセント、特別手当を一律に三〇万円とすること、<3>七〇名を超える人員削減はしないことを会社が確約すること、の三点を要求した。翌三日、会社は組合に対し、<2>の退職条件を受入れることはできないが、その余の要求を受入れる旨および直ちに勧奨を開始する旨を通告した。同日から五日までの勧奨期間中、五名の応募者があった。これにより、希望退職者は五三名となり、削減予定人員に対する未達人員は、一七名となった。
(四) 第四次希望退職(第二次退職勧奨)
会社は、第一次退職勧奨期間の最終日たる四月五日から二日後の七日から同月八日正午まで、前記と同様の退職条件で第二次の退職勧奨を行ったが、応募者はいなかった。
(五) 指名解雇
1 指名解雇の必要性
会社は、同年四月八日、臨時役員会を開催し、削減予定人員に対する未達人員一七名の取扱いにつき深夜にわたり討議した。その結果、退職勧奨を継続することは、第二次退職勧奨に対する応募状況からみて意味がないとの意見が大勢を占めたので、予定人員に達しないまま人員削減計画を打切るか、または指名解雇を行って予定人員まで達せしめるかが焦点となったが、当時においては、前述したような人員整理の必要性が存することに変りなく、合理化計画策定時の予測生産量九〇〇〇トンはさらに減少し、八〇〇〇トンを割って約六二〇〇トンにまで落ちこむことが予測される状況となっていた。そのため、合理化計画策定時において、一旦は有力であった八〇〇〇トンの予測生産量を前提とする九五人削減案が再度俎上にのぼったが、多くの役員は、指名解雇をするにしても、七〇名を超える人員削減はしないとの確約を組合との間で交していることであるから、七〇名の削減予定人員に対する未達数一七名を超える指名解雇はできないとの意見であった。そこで、右役員会においては、指名解雇を行うことと、その数は一七名とすることが最終的に決定された。
2 解雇基準
会社は、第一次退職勧奨を実施した際、勧奨基準を設けていたが、これに該当する者のうち、病弱者、高齢者および有夫の女子は応募していたので、解雇基準を作成するに際しては、勧奨基準のうち、勤務成績に関する条項を詳細化することによって解雇基準を設定するのが、合理化目的にもかない妥当であると判断し、三月下旬から指名解雇の事態を予想して、会社の総務部が中心となって調査していた資料により解雇基準の検討に入った。そして、この際の基本的考え方としては、勤務成績中、最も具体的で客観的な「勤怠」を第一次的基準とし、これを適用して削減予定人員に対する未達数一七名が得られない場合、補充的に「考課査定」によるものとする方針が採用された。
右方針に基づき、四月一三日決定された解雇基準は次のとおりである。
(A) 勤怠基準
(イ) 対象期間
昭和四七年一二月度から同四九年一一月度までの二年間とし、その一年平均の欠勤日数を求める。
(ロ) 算定方法
欠勤については、事故欠勤、無届欠勤とも一日を一日と計算し、遅刻、早退は三回をもって一日とみなす。
年次有給休暇、組合用務による欠勤、就業規則に定める特別休暇および病気欠勤(ただし、医師の診断書提出ある場合に限る。)は、欠勤としない。
(ハ) 職場区分
職場を、鍛造プレス、その他作業部門および事務部門に三区分する。
(ニ) ランク分け
三職場とも、欠勤零を上位(Aランク)、鍛造プレスにつき欠勤〇・五日から二九・五日、その他作業部門につき欠勤〇・五日から一九・五日、事務部門につき欠勤〇・五日から四・五日までを中位(Bランク)、鍛造プレスにつき欠勤三〇日以上、その他作業部門につき欠勤二〇日以上、事務部門につき欠勤五日以上を下位(Cランク)とする。
(ホ) 解雇基準該当者
Cランクにある者を、解雇基準該当者とする。
(B) 考課基準
(イ) 従業員を役付者と一般とに区分し、係長、役付者は、<1>指導力、<2>技倆知識、<3>実行力、<4>責任感、<5>勤務態度につき、一般は、<1>技術知識、<2>正確度、<3>責任感、<4>勤務態度につき各項目とも五点を満点として採点する。採点は、一次査定につき課長が、係長、役付者の意見を徴して行い、二次査定につき部次長が行う。一次、二次の各査定結果は併記し、最終的に役員会の承認により確定する。
(ロ) 勤怠基準適用の結果、該当者が削減予定数一七名に満たない場合、勤怠基準Bランクの者のうち、考課評点の低い者の順に該当者とする。
3 解雇基準の適用結果
(A) 第一次、第二次の希望退職募集の結果、四八名の応募者があったが、会社は、三月下旬ころ、残存従業員二八四名を対象に欠勤実態調査を行ったが、右調査結果に勤怠基準を適用すると、各ランク別該当者は、次表のとおりとなった。(ただし、同表の総計人員が二七四名となるのは、部課長の地位にある者一〇名を、同表から除外しているためである。)
<省略>
右表中、鍛造プレスにおけるCランク該当者は、昭和四七年一二月度から同四九年一一月度までの二年間につき、一年平均欠勤日数が八三・五日である申請人福田、同六七・五日の申請人岡田、同四四・五日の申請人井上、同六〇・五日の申請人中門、同一〇六日の申請外鈴木正直の五名であり、その他作業部門におけるCランク該当者は、同三一日の申請人山本、同二一日のもと申請人川波鉄雄、同四二日の申請外南茂生の三名であった。また、事務部門におけるCランク該当者二名は、同八・五日の申請人横山、同五日の申請人岩井であった。
(B) 次に、部課長を除く二七四名につき考課基準を適用した査定結果の低位得点分布は左(下表・編注)のとおりであった(ただし、得点は第二次査定結果のそれである。)。
<省略>
右表中、係長、役付における八点の一名は、申請人岩井(勤怠基準Cランク)であり、また、一般における六点の一名は、申請人大西(同Bランク)、七点の三名は申請人福田(同Cランク)、申請人岡田(同Cランク)、もと申請人池内晟(同Bランク)、八点の五名は、申請人中門(同Cランク)、申請人井上(同Cランク)、申請人山本(同Cランク)、もと申請人川波鉄雄(同Cランク)、申請人横山(同Cランク)、九点の一名は、申請外鈴木正直(同Cランク)であった。
4 指名解雇の実行と組合との協議
削減予定人員七〇名に対する未達人員一七名を指名解雇するとの方針が最終的に決定されたのは、四月八日の臨時役員会においてであるが、会社は、翌九日、組合に対し、右方針のほか、その具体的人選は一定の基準に従い検討中であり、両三日中に決定のうえ対象者に通知することおよび退職条件は第一次退職勧奨におけるそれに準ずることを通告するとともに組合と協議をした。これに対し、組合は、闘争委員会で組合員全員の投票によることを決め、四月一五日、組合員の全員投票を行った結果、指名解雇もやむをえないとする投票が多数を占めたので、翌一六日、会社に対し指名解雇も認めざるをえない旨を通告した。この間、五名の者が退職を希望する旨会社に伝えてきたので、会社はこれを認めることとした。そして、組合が会社に対し指名解雇もやむをえない旨を通告した四月一六日、役員会において残る一二名につき指名解雇の必要性を再度検討した結果、これを実施することとし、資料に基づき解雇基準を適用して被解雇者を決定した。右被解雇者は、申請人ら八名、もと申請人川波鉄雄、同池内晟、申請外鈴木正直、同南茂生であった。会社は、同日、組合に対し、被解雇者を通告し、同日の団交で指名解雇の基準および退職条件につき説明した。その後、会社は、直ちに前記退職条件にしたがい、右一二名に対し解雇予告手当等を現実に提供して解雇する旨告知(ただし、申請人岩井については、同月二一日に告知)したところ、申請外二名はこれを受領して退職を承認したが、申請人ら八名およびもと申請人ら二名はその受領を拒否した。
第二 本件人員整理(希望退職と指名解雇)の必要性について
一 企業は、その経営合理化のために、または悪化した経営の改善をはかるために、必要な措置を随時決定しうる自由を有するものであるが、右のような場合においても、余剰人員を整理解雇するには、特別な企業の事態や経営上の危機の発生に際会し、企業を維持・存立させるための緊急な必要が存することを要するものと解すべきである。整理解雇は、一般に経営上の都合によるものであり、従業員の責に帰することのできない事由により、継続的雇用への期待を裏切り、従業員の生活の基盤を失わしめるものであるから、企業は、整理解雇にあたっては、前記のような必要性を緩和・減少させるべく、その対象人員の縮減に資する相当な諸施策をとるのみでなく、能うかぎり希望退職の方法によるべきであり、そのうえで、やむをえない場合にはじめて指名解雇の挙にでることが必然的に要請せられるものである。それゆえ、人員整理の必要性はかかる段階に即応して検討されるべきであり、人員整理の必要性が存するからといって、他の諸方策を講ずることなく、直ちに指名解雇を行うことは、その必要性を欠くものと認められるかぎり、解雇権の濫用となるものというべきであるが、他面、整理解雇に先立ち、余剰人員の削減を少くするため、遺漏なく全般の措置をとることまで要求されるものではなく、企業の置かれた当該状況のもとで、解雇を回避するために相当と認められる他の諸対策を用いているときは、整理解雇はその効力を否定されることはないものと解すべきである。
二 本件の場合について考察するに、前示認定の事実によれば、会社は、昭和四九年下期において、従前の経営実績と将来の経営状況の予測からすると(第一、一、(三)、(四)参照)、連続して無配の状態であって多額の繰越損失を抱え、主要取引先の営業不振から受注の減少が見込まれ、早期に経営合理化を実施する必要があったものというべく、昭和四九年一一月以降に決定して順次実行した一連の合理化の緊急措置(第一、二、(一)参照)は右目的達成のためのものとして首肯するに足りる。そして、昭和五〇年二月、会社が本件人員整理計画を立てたのは、会社の当時の資金繰りの状況、生産量や販売額の動向、同業他社に比し従業員一人あたりの生産性が低く、これを高める要があったこと(第一、二、(二)参照)などからすると、余剰の人員として、自然退職等を除き従業員七〇名を削減する必要性があったもので、希望退職の実施後、本件解雇の段階においても、人員整理の必要に迫られていた状況に変化はなく、指名解雇の必要はなお存した(第一、三、(五)、1参照)ものとみるのが相当である。
三 申請人らは、種々の観点から、本件解雇につきその必要性がなかった旨主張するので、以下に若干の検討を加える。
1 (証拠略)によれば、会社の経営計画の損益分岐点分析において、限界利益率が、会社が対策をとらなかった場合、昭和四九年下期の四〇パーセントから、同五〇年上期および下期に二九パーセントに落ち込むとしているのは、きわめて大幅な変動にすぎて、人員整理の必要性を引き出すためのものである旨指摘しているが、(証拠判断略)は採用することができない。
2 (証拠略)によれば、会社は、昭和四九年下期にはいわゆる「先喰い生産」をし、同年一一月期の実績で一万六九三トンの生産をし、ために昭和五〇年上期の生産は減少することとなることが認められるが、前同証拠によれば、右のような先行生産は、目前の決算への配慮もあり、輸出に期待してなされたもので、その調整は昭和五〇年上期だけでなされるものであることが認められ、(証拠略)によれば、会社の合理化計画における長期需要予測は昭和五〇年から同五二年までの販売を基本にして検討していることが認められるから、申請人ら主張のように、「先喰い生産」をして昭和五〇年上期の生産をことさら低く押え、本件人員整理の必要性を作為的に引き出したものとは認めがたい。
3 (証拠略)によれば、会社が昭和五〇年から同五二年にかけての確実な需要予測を六か月(一期)で八〇〇〇トンとしたことは相当と認められ、整理人員を先に設定し、それに合せて定安(ママ)需要量を求めたことを認めるに足りる証拠はない。
また、(証拠略)によれば、昭和四〇年一〇月ころ、新聞が住友銀行の東洋工業に対する資金援助や役員派遣を報じていること、昭和五〇年四月二七日になると、新聞が東洋工業の販売好調を伝えていることが認められるが、そのことのゆえに、会社の東洋工業に対する受注が本件解雇時の同年四月一六日までに増大したことを認める証拠はなく、むしろ、(証拠略)によれば、再建途上にある東洋工業に対しては、会社は直ちに予測受注量以上のものを期待できない状況にあったものと認めるのが相当である。
4 (証拠略)によれば、会社は、工場敷地、社宅敷地等の土地(昭和四九年下期の簿価六五六万八五五七円)のほか多数の株式、公社債、国債(昭和四九年下期の簿価一億六七八七万円)を所有していたが、昭和五〇年五月に尼崎市所在の係長社宅と敷地を、同年七月に同市所在の課長社宅を、それぞれ売却して、手取額合計約一億五六〇〇万円を取得したこと、前記株式の大部分は借入金の担保に入れていたので、その余の株式、債券等を同年三月ころ売却処分し、約七五〇〇万円の手取額をえていることが認められるが、申請人ら主張のように、会社が、合理化計画策定の際に、昭和四九年下期の営業報告書に計上された財政状態を基礎にして資産計算を行い、貸借対照表にあらわれない相当な含み資産を加味していないとしても、(証拠略)によれば、資産については、取得価額によるものであり、時価評価が可能なのは企業の倒産等を前提とした場合であることが認められるから、会社が前記資産計算をしたからといって、これを不当視するのは相当でなく、しかも、前述のように、会社の経営合理化の必要は、資産計算の結果よりは販売実績、受注動向等が主たる要因となっているものであるから、含み資産があるからといって、本件人員整理の必要を否定する理由にはならない。
5 (証拠略)によれば、訴外日鍛不動産は、不動産の開発、販売を目的とする資本金一億円の株式会社であり、その発行ずみ株式の九七パーセントの株式を会社が所有し、殆どの役員を会社から派遣していること、会社は、本件合理化計画策定の際、日鍛不動産の吸収合併を検討したが、日鍛不動産は当時八三九万七〇〇〇円の赤字決算の状態にあり、その大口債権者である訴外興和不動産株式会社の反対もあり、合併は断念せざるをえなかったこと、ところが、その後、日鍛不動産は黒字決算となり、その他右合併の支障はなくなったので、会社は、本件合理化計画実施後の昭和五一年六月一日日鍛不動産を吸収合併したことが認められるが、以上のことから、日鍛不動産の所有不動産を会社の実質上の資産として、本件合理化計画策定の際の会社の財政状態の判断の中に組み入れるべき必然性はでてこないものであり、会社がこれを組み入れなかったからといって、日鍛不動産の所有資産を隠蔽したとはいいがたく、この点に関する申請人らの主張は失当である。
6 前叙認定のとおり、企業系列としては、会社は大同製鋼の傘下にあり、また、主たる取引先は東洋工業をはじめ大企業がこれを占めているが、そうだからといって、大同製鋼が会社を倒産させるはずがないとは断じえないし、また、主たる得意先の受注減が長期にわたらないとか会社に影響するところがないとは断定しえないこと明かである。
また、(証拠略)によれば、会社は、本件人員整理のための退職金約一億五〇〇〇万円につき、不動産、株式、債券を売却処分し(前記4参照)、その代金をその資金に充てていることが認められるから、右退職金の資金はもっぱら会社財産の処分によって捻出されたもので、会社の支払能力に余裕があったものとするのはあたらない。
7 (証拠略)によれば、会社は、一時帰休制、休職、雇用調整給付金の受給等をいずれも実施しなかったことが認められ、一時帰休制、休職は人員整理に先立って実施されるとこるであり、会社もこれを一施策として行った方が望ましいところであるが、前叙認定のように会社は一連の合理化措置をとってきたところであること、また、(人証略)によれば、それらの一時的措置では会社の危機は打開できないということで採用されなかったことが認められ、それらは人件費の節減については抜本的に資さないことなどを考えると、それらの実施が抜けていることが本件整理解雇の必要性に影響するものとは解しがたい。雇用調整給付金も前記各証拠によれば、到底これに依存して事態を切り抜けうる程度のものではなかったことが認められるから、前同様に解することができる。
次に、(証拠略)によれば、会社は、下請の解約は一部実施したが、大阪熱練株式会社(約一〇名)については、同社が、専属の従業員をもち、会社から工場内設備を借受けて会社の熱処理作業を専門に受注し外注もしている特別な関係の下請業者であり、会社から右下請を解約されると、同社の倒産につながるおそれがあったので、発注量を半減するのみで解約しなかったこと、また、大神運輸(約二名)は会社の専属として運輸部門を下請していたので、会社の運輸部門の必要性、その経費負担を考慮し、会社の社外工二名を大神運輸の従業員に採用してもらい、下請関係を存置さしたことが認められ、以上の事情のほか下請関係の性質に鑑みると、会社が下請業者を解約しなかったものがあることをもって、申請人ら主張のように結論することは相当でない。
8 (証拠略)によれば、会社は、昭和四九年一〇月八日付で同五〇年度高校卒業予定者八名の採用を内定し、その旨本人および学校長宛に通知していたが、本件合理化計画策定後に右採用内定者の取消については、これを不当とする行政機関の指導やこれに反対する世論の盛りあがりがあったところから、右採用内定の取消は行わずに、昭和五〇年四月に右採用者を各職場に配置したことが認められるから、右採用者は本件指名解雇による欠員の補充をなしたものとはいいがたく、この点に関する申請人らの主張は採用することができない。
9 申請人らは、本件人員整理後、会社が、他社の平均水準と同等の賃上げ、一時金を支給し、さらに皆勤手当を増額し生産協力金を交付し、賃金の遅配、欠配は一度もないこと、その他、本件人員整理後の会社の従業員の総人件費に対し、本件指名解雇者一〇名の賃金総額の占める割合からみて、本件解雇者の人件費は会社として充分まかないうることなどを挙げて、本件解雇の必要性のない理由とする。しかしながら、前叙認定のように、一連の合理化施策中に会社役員、部課長等の給与の一部カットは行われているが、一般従業員の給与等の削減計画はもりこまれてないのであり、現実に倒産したような企業の場合は別として、本件のように会社が早期に合理化施策を行ったような場合には、一般従業員の賃金、一時金等は他社の平均水準程度の支給を維持することが可能でありうるし、しかも、それは諸般の見地から望ましいものであるから、会社が右支給をしたからといって、申請人ら主張のように解することはできない。したがってまた、本件指名解雇者の賃金総額が、会社の従業員の総人件費に占める割合が申請人ら主張のごとき程度であるとしても、そのことのゆえに、前述のような本件指名解雇の必要性が左右されるわけのものではない。
10 本件合理化計画実施後の会社の経営状況は、(証拠略)によれば、次のとおりであることが認められる。会社は、昭和五〇年から同五二年まで半期九〇〇〇トンの生産、販売を計画していたが、昭和五〇年上期においては、販売実績は七八九八トン、売上高は一億九六八〇万円、経常利益段階で一九五〇万円の赤字であり、同年下期においては、販売実績は八三二〇トン、売上高は一億九五六〇万円、経常利益段階では約一四〇〇万円の赤字であったこと、昭和五一年は、一年決算に移行した年であるが、同年上期においては、販売実績が八〇一六トン、同年下期におけるそれは九九二一トンであり、同年を通じての売上高は四億五三四〇万円となったが、経常利益段階ではなお八九〇〇万円の赤字であり、社宅売却益等の特別利益九八〇〇万円によって黒字決算を行い、また、諸積立金、準備金の取りくずしにより繰越損失一億六一〇〇万円を零としたこと、昭和五二年度は、受注量が上向いてきて、年間二万一〇〇〇トンの販売計画を立てていることが一応認められ、また、(証拠略)によれば、会社は、納期遅れに対処するために、現場に対する応援、残業、休日出勤等を行い、昭和五一年下期から同五二年にかけて、受注の増大にともない、季節工、社外工を雇っていることが一応認められる。そうすると、本件合理化計画施行後も昭和五〇年上下期は経営状態は依然として苦境にあったものであり、昭和五一年下期にいたって販売実績が九〇〇〇トン以上となり、受注も増大して好転してきたのであり、そのため納期遅れを生じ、会社はそれを解消させるため、現場の応援や臨時工の雇用等の対策をとってきたものであるから、本件合理化施策の行った後に生じた事情の変更によるものとみるべきであり、本件指名解雇が必要でなかったとする根拠にはならない。以上の認定判断に反する申請人横山本人の供述とそれにより真正に成立したことを認める(証拠略)はいずれも採用することができない。
11 申請人らは、本件人員整理前の会社の自然退職者が二七名程度あるので、これをあてれば、本件指名解雇の必要はない旨主張するが、(人証略)によれば、本件人員整理計画においては、自然退職者のあることを前提としてなされていることが認められるから、右主張は失当である。
12 前記10で判断したとおり、本件合理化施策を実行後昭和五一年下期までに業績好転して繰越損失を解消しているが、右事実があるからといって、本件指名解雇の必要性を否定することができないことは既に触れたところから明かである。
第三 本件人員整理に関する組合との協議について
一 人員整理の実施にあたっては、企業は、組合に対し、その必要性、その実施方法を説明し、可能な範囲で組合の了解と協力を求めるべきであり、このことは、人員整理の性質上、労使間の信義則上当然要求されるところであって、信義則の見地から右協議を尽していないと認められるときは、整理解雇は無効とされるべきであるが、右協議にあたっては、特別な場合を除いて、整理解雇について組合の合意、了解をうることまでの必要はないものと解すべきである。
二 本件人員整理においては、前示で認定した事実によれば、第一次から第四次までの希望退職の実施については、会社は、組合と連続して協議を行っており、組口の態度は、当初は人員整理に反対して抗議していたが、後には希望退職募集は認めることに変り、未達成の場合に指名解雇は行わないよう求めており、退職勧奨の段階でも、前述のような経過はあったが遂にはこれをやむをえないものと認め、退職条件改定の要求などしているのであり(第一、三、(一)ないし(四)参照)、次いで、指名解雇の実施にあたっては、会社は、組合に事前にその旨通告するとともに協議をし、組合から指名解雇も認めざるをえない旨の回答に接すると、組合に対して被解雇者名を通告して指名解雇の基準および退職条件につき組合と協議をしているのであるから(第一、三、(五)、4参照)、会社の組合に対する協議については、会社は信義則上要求される義務を尽しているものというべきである。
三 申請人らは、会社は、第一次から第四次希望退職まで、組合と十分な協議を尽さないまま本件人員整理を強行した旨を種々の点から主張するが、前叙認定の程度の協議をなしていれば、申請人ら主張のような細部の点についてまでの合意がなく、または協議を欠いていても、信義則上要求される協議は尽くしているものと解すべきであるから、申請人らの主張はいずれも採用しがたい。
また、申請人らは、指名解雇の際、組合の闘争委員会が指名解雇もやむをえない旨決定したことにつき、右決定は無効であると主張するが、会社の組合との協議義務は労使関係の信義則の見地から要請されるものであり、その見地からすれば、会社と組合間に前叙認定の程度の協議があれば足りるものであって、組合の了解、合意をうることは必ずしも必要でないのであるから、会社と組合との間の協議と認めがたい特段の事情のある場合は別として、組合の闘争委員会の決定の効力の如何は、組合内部の意思決定に関するものであって、前述の意味における協議の有無に影響するとは解しがたいところ、本件においては前叙のように会社と組合間の協議と認められるものは存するのであるから、申請人らの主張はさらに判断するまでもなくその理由がない。
以上の認定判断に反する(証拠略)はいずれも採用することができない。
第四 本件整理解雇基準とその適用について
一 整理解雇基準は、企業がそれによって解雇対象者を選定する客観的規準となるものであるから、合理的であるとともに妥当性があるものでなければならない。そして、整理解雇基準がそのようなものである以上、その適用についても、合理的であるとともに妥当性のあることが要求されるものというべきである。かかる整理解雇基準の設定とその適用が合理性や妥当性を欠く場合には、それに基づいてなされた整理解雇は、正当な事由を欠くものとしてもしくは解雇権の濫用として、無効となるものと解すべきである。
二 前示認定の事実によれば、本件整理解雇基準は、先ず昭和四七年一二月から同四九年一一月までの二年間の勤怠によるものとし、職場を鍛造プレス、その他作業部門、事務部門に三区分して勤怠実績を上(A)、中(B)、下(C)に分類し、Cランクにあたる者を解雇基準該当者とし、さらに、同一期間についての考課によるものとし、従業員を役付者と一般に区分し、査定項目ごとに評価採点し、勤怠基準により解雇予定数に達しないときは、勤怠基準Bランクの者のうち考課査定の低い者の順に基準該当者とするものであり(第一、三、(五)、2参照)、勤怠次いで考課によるものであるから、後記の点を除けば、基準自体が不合理であるとか妥当でないとすることはできない。
そこで、以下に本件解雇基準とその適用を申請人らについて個別的に検討する。
(一) 申請人岩井、同横山、同大西について
1 前叙認定の事実によれば、申請人岩井、同横山はいずれも事務部門に属し、勤怠は、一年の平均欠勤日数について、申請人岩井が五日、同横山が八・五日であり、事務部門においては右欠勤五日以上を下位(Cランク)としているので、右申請人両名はCランクにあたるものであるが、鍛造プレスにおいては右欠勤三〇日以上、その他作業部門においては右欠勤二〇日以上をいずれもCランクとしていることに比すると、事務部門はCランクが他部門に比し著しく低く設定されている。そして、(証拠略)によれば、各職場の勤怠の実態を調査し、また、賃金規定二八条一項三号にある成績給の査定基準となる勤怠成績の分類にならって、三部門につきCランクの日数三〇日、二〇日、五日をそれぞれ定めたことが認められるが、勤怠のCランクが先ず整理解雇基準に該当することを考えると、勤怠の実態からのみCランクの日数を割り出すことは疑問があり、また、成績給査定の基準となる勤怠成績の分類を整理解雇のごとく従業員としての地位を喪失する場合に引用することは相当でなく、三部門のCランクの日数に差等を設けるにしても、勤怠の性質に照らし、全体的にみてそれ自体勤怠不良として整理解雇に値するとされてもいたしかたない程度の日数を定めるべきであり、かかる視点からみれば、事務部門のCランクの五日は鍛造プレス、その他作業部門に比し、その職場の作業環境や欠勤実態の相違などを考慮しても、著しく妥当性を欠き不合理なものというべきである。それゆえ、本件整理解雇基準のうち、勤怠に関する事務部門Cランクを五日とする部分は無効なものといわなければならない(もっとも、右基準部分の無効は他の整理解雇基準全体に影響するものではないと認めるを相当とするから、本件整理解雇基準全体を無効ならしめるものではない。)。
なおまた、前記勤怠基準の申請人岩井に対する適用をみても、前記のように申請人岩井は一年の平均欠勤日数が五日であるから、事務部門Cランクに辛うじて該当するが、(証拠略)によれば、申請人岩井は、事務部門でみるかぎり勤怠は下位に属するけれども、事務部門には申請人岩井より欠勤の多い者がいたが、希望退職の段階で既に退職してしまったため、申請人岩井が勤怠の下位を占めるにいたったこと、会社は希望退職の段階では病弱である者を対象者としたが、勤怠において病欠(診断書の提出あるもの)を欠勤から除外したため、そのこと自体には根拠があるといっても、病弱者とみらるべきものの長期病欠が勤怠の欠勤とされないことを考慮し、勤怠の前記基準の適用にあたっては、妥当な適用をすべきであるのに、杓子定規に勤怠基準による解雇該当者としたことが認められるから、申請人岩井は、厳格な意味においては右勤怠基準に該当するけれども、他との比較においてその程度が甚だしくないのに解雇対象者とされたものであり、勤怠基準の適用においても著しく不当であって合理的でないものということができる。
なお次に、申請人横山に対する前記勤怠基準の適用についてみると、前記のように申請人横山は一年の平均欠勤日数が八・五日であるから、事務部門Cランクに該当するが、(証拠略)によれば、申請人岩井の場合と同様な事情が存するほかに、申請人横山は、会社が昭和四九年夏に実施した交替勤務制につきこれを拒否したところ、同年九月一四日会社から勤務に就業せよとの業務命令を受け、その効力を争い、会社を相手取って当庁に右業務命令の効力を停止する旨の仮処分命令を申請し、同年一〇月二五日その旨の仮処分決定をえたが、右業務命令の効力が停止されたので、これを理由として、会社の指示する時機に一四時から二一時四五分までの勤務に就業しなかったところ、会社から早退の処理をされたこと、本件勤怠基準においては、遅刻早退三回をもって欠勤一日と取扱われるため、申請人横山の一年の平均欠勤日数八・五日のうちには右早退の分が加算されているが、仮処分の関係を考慮してこれを除けば、右平均欠勤日数は八・五日より少くなることが認められるから、以上の各事情を併せ考えると、申請人横山についても、同岩井と同様な理由により、勤怠基準の適用において著しく不当であって合理性を欠くものといわなければならない。
そうだとすると、申請人岩井、同横山については、勤怠基準およびその適用において、合理的でなく妥当性を欠くものであるから、前叙認定のような考課査定のみでは、右申請人両名に対する本件整理解雇は解雇権の濫用にあたるものであって無効というべきである。
2 前叙認定の事実によれば、申請人大西は、勤怠では中位(Bランク)で解雇基準に該当しなかったが、勤怠基準該当者のみでは整理解雇者が一名不足したので、考課での評点が六点であり、一般では最低に位置したところから、解雇基準該当者とされたものであり、(証拠略)によれば、申請人大西は、その他作業部門に属し、勤怠については一年の平均欠勤日数が一〇日であること、その他作業部門だけみても、勤怠が中位(Bランク)にあたる者のうち、申請人大西より一年の平均欠勤日数が多い者が相当数いることが認められるから、申請人大西の考課査定の評点が最低位であるからといって、同申請人を解雇基準に該当するとすることは、同申請人より勤怠不良なる者との比較において相当でないものといえる。しかも、(証拠略)によれば、人事考課表は本件人員整理中の昭和五〇年三月二七日に第一次評定がなされたものであること、人事考課の対象となった分は昭和四七年一一月二一日から同四九年一一月二〇日までの過去二年間であるが、単に右考課表のみであることが認められるから、前記二年間に定期昇給、一時金その他の面において考課表のような考課査定がなされた等の客観的裏付けを欠いており(<証拠略>も本件人員整理に際し作成されたもので、客観的裏付けとしての意味に乏しい。)、申請人大西を被解雇者とした右考課査定も客観的資料が十分でないといわざるをえない。
してみると、申請人大西については、解雇基準として考課査定により被解雇者に選定したことは、解雇基準の適用において、合理性、妥当性を欠くものというべきであるから、申請人大西に対する本件解雇は解雇権の濫用として無効たるを免れない。
(二) その余の申請人らについて
1 前叙認定の事実によれば、勤怠について、一年の平均欠勤日数は、鍛造プレスでは、申請人福田が八三・五日、同岡田が六七・五日、同中門が六〇・五日、同井上が四四・五日、その他作業部門では、同山本が三一日であり、いずれも下位(Cランク)にあたるもので、勤怠の解雇基準に該当するものであるが、下位(Cランク)について、鍛造プレスで欠勤三〇日以上、その他作業部門で二〇日以上の基準を設定したことは、前述の諸観点からみても相当であって、勤怠の右解雇基準は合理的で妥当なものと評することができる。したがって、前記申請人らはいずれも右解雇基準に該当するものであって、同基準により同申請人らを被解雇者と選定したことにつき、合理性、妥当性に欠けるところはないといわざるをえない。
2 申請人らは、解雇基準の不合理性、同基準適用上の不合理性を指摘するので、以下に若干の検討をする。
(A) 勤怠につき、職場を鍛造プレス、その他作業部門、事務部門に三区分することおよび右三部門ごとに下位(Cランク)の欠勤日数に較差を設けることは、(証拠略)によれば、各職場の労働がその性質上同一に扱えないのみでなく、作業環境が勤怠に反映し、欠勤実態もそれぞれ異なっていることが認められるから、公平を期するために、職場を区分し、欠勤日数に較差をつける必要はあるものというべく、会社における定期昇給、皆勤、精勤手当の支給その他の制度において職場区分がなく、また、鍛造プレスとその他に二区分されている取扱いもあるからといって、必ずしも同一の方法をとるべき必然性はないのであり、整理解雇は、その性質に照らし、独自の職場区分をなし、欠勤日数に較差をもうけうるもので、前述したところによれば、それらに合理性あるものというべきであり(ただし、事務部門の欠勤日数Cランクを五日以上とすることについて合理性がないことは前述のとおりである。)、これらの点に関する申請人らの主張は容れることができない。
(B) 本件勤怠基準においては、欠勤について病欠(診断書の提出があるもの)を除外していることは前叙のとおりであるが、病欠はたまたま罹病して不可避的に病欠するもので、病弱者とは異なるから、欠勤と区別することは妥当であり、区別する根拠を有するものであり、病欠を除外することは合理性があるということができるし(ただし、希望退職の段階では病弱者が対象になっていたのに、整理解雇では病弱者が対象になっていないので、病弱者とみられるべきものの長期病欠については欠勤の適用上考慮すべきことは前述した。)、この点に関する申請人ら主張は採用することができない。
(C) 本件解雇基準の勤怠対象期間を昭和四七年一二月から同四九年一一月までの二年間としているが、(証拠略)によれば、対象期間につき、二年のほか三年、五年を採用しても、平均欠勤割合は実態上殆ど差のないことが認められるから、対象期間を二年間に限ったことを申請人ら主張のように不当視することはできない。
また、勤怠基準の基礎となった欠勤実態調査は申請人らが指摘するような諸点を加味しなかったからといって、不合理なものということはできず、(証拠略)によれば、申請人らの勤怠実績はタイムカードに基づいて作成されているもので、タイムカードの記載は賃金等の計算の資料ともなるものであることが認められるから、申請人らの勤怠実績がその主張のようにきわめて不正確であるとは解しがたい。
(D) 前叙で認定したところによれば、考課査定基準はそれ自体通常相当とされている考課方法に依拠しており、申請人ら主張のような理由によってはその合理性を否定することはできない。
(E) 以上の認定判断に反する(証拠略)はいずれも採用することはできない。
第五 申請人らに対する本件整理解雇の効力について
一 解雇権の濫用について
前記第一ないし第四で判断したところによると、本件指名解雇は、前述のように、経営合理化の必要性があり、そのための措置の一環として整理解雇基準に基づきなされたものであって、申請人福田、同井上、同岡田、同中門、同山本については、右解雇基準およびその適用のいずれの面においても合理的で妥当なものであり、解雇権の濫用にわたるところはないから、同申請人らに対する本件整理解雇は有効であるが、申請人岩井、同横山については、右解雇基準(のみならずその適用)において、同大西については同基準の適用において、いずれも合理性、妥当性を除くもので、解雇権の濫用にあたるというべきであるから、同申請人らに対する本件整理解雇は無効といわなければならない。
二 不当労働行為について
申請人ら(申請人岩井、同横山、同大西を除く。以下「申請人五名」ともいう。)に対する本件解雇について、不当労働行為の成否をみるに、(証拠略)によれば、申請人五名が組合の役員歴を有することが認められるが、(証拠略)に照らし、加えて、前記のように、本件経営合理化の必要性があり、そのための措置の一環として、前記整理解雇基準に基づき、本件解雇がなされたことなどに徴すると、いずれも採用しがたく、(証拠略)も申請人ら主張のような不当労働行為を認めるに足りるものではないから、申請人五名に対する不当労働行為の成立は認めることはできない。
第六 地位保全と賃金等仮払等について
一 申請人岩井、同横山、同大西(以下「申請人三名」ともいう。)、に対する本件解雇は無効というべきであるから、申請人三名は会社の従業員としての地位を有しているものというべきであり、申請人横山本人の供述と弁論の全趣旨によれば、申請人三名は、会社から受ける賃金によって生活している労働者であるので、特段の事情もない本件においては、賃金、一時金の仮払を受ける必要があるものと認められる。
二 賃金、一時金の額について検討する。
(証拠略)によれば、会社においては、定期昇給のなかには、勤怠による成績給と考課査定による技能給も含まれており、また、一時金については、欠勤控除や考課査定による評価計算が合意されていることが認められるが、申請人三名の右勤怠や考課査定については、格別の疎明もないので、平均的なものとするのは相当でなく、会社が(証拠略)で認めた限度によるほかなく、それによって算出することとする。また、昭和五〇年四月当時の平均賃金については、解雇前六か月の平均賃金によるべきでなく、解雇前三か月の平均賃金によるのが相当であり、別紙平均賃金表のとおりとなる。そこで、当事者間に争いのない事実のほか(証拠略)によって認められるところは次のとおりである。
(一) 昭和五〇年五月度から同年九月度までの賃金
昭和五〇年度の定期昇給は、同年三月一六日以降実施されて、既に賃金に算入ずみであるので、右期間の申請人三名の各人の一か月当りの賃金は別表(略)(イ)のとおりとなる。
(二) 昭和五〇年一〇月度から同五一年三月度までの賃金
昭和五〇年一〇月度以降ベースアップがなされたので、右昇給額を加算すると、右期間の申請人三名の一か月当りの賃金は別表(ロ)のとおりとなる。
(三) 昭和五一年四月度から同五二年三月度までの賃金
昭和五一年度の定期昇給は同年三月一六日以降実施され、また、同年四月以降ベースアップがなされたので、各昇給額を加算すると、前記期間の申請人三名の一か月当りの賃金は別表(ハ)のとおりとなる。
(四) 昭和五二年四月度から同年五月度までの賃金
昭和五二年四月度以降定期昇給およびベースアップがそれぞれ実施されたので、各昇給額を加算すると、前記期間の申請人三名の一か月当りの賃金は別表(ニ)のとおりとなる。
(五) 昭和五〇年夏季一時金
昭和五〇年夏季一時金は同年七月八日妥結したが、申請人三名の支払を受くべき一時金は別表(ホ)のとおりとなる。
(六) 昭和五〇年冬季一時金
昭和五〇年冬季一時金は同年一二月四日妥結したが、申請人三名の支払を受くべき一時金は別表(ヘ)のとおりとなる。
(七) 昭和五一年夏季一時金
昭和五一年夏季一時金は昭和五一年七月一二日妥結したが、申請人三名の支払を受くべき一時金は別表(ト)のとおりとなる。
(八) 昭和五一年冬季一時金
昭和五一年冬季一時金は昭和五一年一二月二日妥結したが、申請人三名が支払を受けるべき一時金は別表(チ)のとおりとなる。
以上(一)ないし(八)により申請人三名各人がうべき賃金、一時金の合計額を算出すると、別紙未払賃金表(一)のとおりとなる(ただし、右仮払にあたっては、法令その他による税金、社会保険料等はそれから控除されるべきである。)。
三 申請人らは、臨時手当金と生産協力金の仮払を請求し、(証拠略)によれば、昭和五〇年六月から同年九月にかけ在籍する従業員に対し、世帯主、準世帯主につき月五五〇〇円、非世帯主につき月四〇〇〇円の割合で貸付けたものを、昭和五〇年一二月四日付で労働組合との合意のうえ、臨時手当として支給替し、また、昭和五一年一一月三〇日、昭和五一年下半期の生産に協力した在籍従業員を対象に一律三万円の協力報奨金を支給したことが認められるが、右各支給金に対する申請人三名の請求権の有無はさておき、前記のように賃金、一時金の仮払を認容される以上、右各支給金の仮払を受ける必要はないものというべきである。
四 弁論の全趣旨によれば、申請人大西は別紙物件目録記載(1)の建物を占有しているところ、本件解雇後は会社によってその占有を妨害されるおそれがあり、それを防ぐため右妨害を禁止してその状態を維持する必要のあることが認められる。
第七 結語
以上の理由によれば、申請人らの本件申請は、申請人岩井、同横山、同大西が被申請人の従業員たる地位を有することを仮に定め、被申請人が右申請人三名に対し、別紙未払賃金表(一)記載の金員と昭和五二年六月以降本案判決確定にいたるまで、毎月二七日限り別紙未払賃金表(二)記載の金員の仮払をし、被申請人が申請人大西の別紙目録記載(1)の建物の占有使用を妨害しないことを求める限度で理由があるから、事案に鑑み保証を立てさせないでこれを認容し、右申請人三名のその余申請およびその余申請人らの申請はいずれも理由がないのでこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥輝雄 裁判官 倉谷宗明 裁判官横山敏夫は転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 奥輝雄)